長崎県_長崎市・佐世保市
概要
長崎県北部の中心都市で、長崎県では長崎市に次いで2番目、九州では9番目に多い人口を擁する。県庁所在地ではない「非県都」としては比較的大きな規模を持つ都市であり、国から中核市及び保健所政令市の指定を受けている。
かつて旧海軍四軍港(横須賀・呉・佐世保・舞鶴)の一つとして鎮守府が置かれ、現代でも自衛隊や在日米軍の基地として伝統を受け継ぐ、造船および国防の町として知られる。また、西海国立公園に指定されている九十九島や日本最大級のテーマパークであるハウステンボスに代表される観光都市でもある。市制施行当時の市域は旧東彼杵郡佐世保村のみで、その後の合併により旧東彼杵郡の一部、旧北松浦郡の一部地域も市域に含む。長崎市とは離れているため、経済圏は異なる。
下記より抜粋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B8%96%E4%BF%9D%E5%B8%82
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■人口・議員数
249,263人
佐世保市議会
定数:33名
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■地域ポイント
商業
四ヶ町商店街(佐世保駅側入口)
直線では日本最長となる四ヶ町・三ヶ町アーケードは古くからある商店街では珍しく、
現在でも市の中心地として栄えている。平日祝日を問わず沢山の人で賑わっており、
20万人都市の中でも「日本一元気な商店街」と評され
全国から商店街組合が視察に訪れているほどである。
また、中心街をシャッター街化させないよう様々な取り組みを行っている
地方都市としても知られており、商店街を含めた地域の活性化を図り
YOSAKOIさせぼ祭りやきらきらフェスティバルを開催するなど、
その動きは各所にみうけられる。
2001年に佐世保駅が高架駅として新しくなり、
駅及び港(鯨瀬埠頭)周辺もフレスタSASEBOのような駅ビルやアルカスSASEBO(多目的ホール)ができるなど再開発が進んでいる。
また、三ヶ町は2007年(平成19年)現在、再開発が進められている
観光業
佐世保市の観光産業の中枢であったハウステンボスは
バブル崩壊による観光客の減少の影響を大きく受け、
更に初期の設備投資が莫大であったために借金の完済が困難となり、
2003年に会社更生法を申請せざるを得なかったが、その後、新たなコンセプトをもとに復活の兆しが見えている。ほかに西海国立公園の九十九島、弓張岳なども重要な観光資源である。
なお、九十九島は「世界で最も美しい湾クラブ」(本部・フランス)に加盟認定(2018年4月20日)
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■観光案内
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福岡県福岡市
福岡県福岡市
概要
福岡市は福岡県の県庁所在地で、九州の北岸に位置しています。歴史ある寺院やビーチの他、キャナルシティ博多などの近代的なショッピング モールでも知られています。舞鶴公園には 17 世紀の福岡城跡があり、博多の中心部には像高 10.8 m の大仏で知られる東長寺や、明治・大正時代の人々の暮らしを垣間見ることができる博多町家ふるさと館があります。
人口:153.9万 (2015年)
議員数:
下記より抜粋
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■地域ポイント
・市の主なプロジェクト
・天神ビックバン
・福岡市役所 ロビー開放
・スタートアップ支援施設「Fukuoka Growth Next」(平成29年4月開業)
・水上公園
port-of-hakata.city.fukuoka.lg.jp
・博多コネクティッド
・キャッシュレス実証実験
・福岡市科学館
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■観光案内
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■食事
新潟県三条市・新発田市付近
概要
県下有数の工業都市。市域の大部分が旧南蒲原郡の町村から成り、新潟県の中越地方に分類されるが、後述のとおり下越地方に含まれる場合もある。近年では「県央地域」の呼び名が一般的となっており、隣接する燕市や加茂市、田上町、弥彦村などから成る同地域の中心都市となっている。
2005年(平成17年)5月1日、旧三条市と南蒲原郡栄町、同郡下田村の3市町村による新設合併をもって、現在の三条市が発足した。合併当時の人口は約10万8千人を数え、新潟市、長岡市、上越市に次ぐ県内第4位の人口を擁する都市となった。近年の人口は同規模を有する新発田市とともに、県内4位から5位の間を推移している。
隣接する燕市は、ともに金属加工を中心に栄えたこともあって古くから相互補完の関係が深い。
特に三条市はともに金属加工を中心に栄えたこともあって古くから相互補完の関係が深く、燕は「職人の町」、三条は「商人の町」とも称される。近年に関しても、燕市から三条市への通勤率は10.1%(平成22年度国勢調査より)に達する。
しかし一方で、根深い対立を抱えている側面もあり、過去には両市の境界に所在する日本国有鉄道(当時、現在の東日本旅客鉄道)の燕三条駅や、北陸自動車道の三条燕インターチェンジについて、名称の扱いを巡り論争が起こったことがある。また2000年代の市町村合併を巡っては、両市の財界や市民団体などから両市合併による「燕三条市」を実現しようとする動きが見られたものの、両市双方で論争に発展するなどし、結局実現には至らなかった。
新潟県の北部、日本の穀倉地帯といわれる蒲原平野部位置し、県都新潟市から車で30分(約27km)のところにあります。
山間部の集落では、旧石器時代や縄文時代の遺跡が発見されており、古くから人々がこの地に住んでいたことがわかります。
新発田(しばた)市の地名の由来は、この地方が海岸州の近くだったことから「洲端(すばた)」が「しばた」になったという説、荒れ地を開墾してできた土地(田)ということから「しばた」になったという説など、他にもいくつかの説がつたえられています。
新発田は、明治4年に廃藩置県がなされるまで国替えもなく、12代、約270年という長い年月にわたり溝口侯が治め、新発田藩城下町として栄えてきました。新発田城をはじめ、藩主の下屋敷である清水園や足軽長屋などに当時の面影が残っています。
新潟県 議員数53名
新潟市 議員数51名
三条市 議員数22名
燕市 議員数20名
新発田市 議員数27名
下記より抜粋
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■地域ポイント
・新潟県三条市は県内有数の工業都市として知られています。「燕三条」の刃物、金物、鋳物などは全国的にも有名。
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■観光案内
・新発田城
現在も城郭跡地の大部分が陸上自衛隊の新発田駐屯地となっているため、三階櫓に行けないなど、新発田城の観光地化の支障となっている。しかしその反面、ここを訪れる観光客の中では、城と重なる駐屯地の光景を見て、「戦国自衛隊のようである」と感想を漏らす人々が非常に多い。かつては浮船城、狐の尾引き城、あやめ城と呼ばれていた新発田城であるが、近年では戦国自衛隊の城という愛称で呼ばれることが増えてきている。
・清水園、足軽長屋
「清水園」の東側を流れる新発田川。この川をへだてた路すじに「足軽長屋」はあります。天保13年(1842)に藩の普請奉行が建てた棟札がみられます。 新発田藩は軍事的理由から、城下の幹線道路の出入り口付近に人数溜まりをつくり、その外側に「足軽長屋」を置きました。長屋は旧会津街道口、古くは足軽町とよばれた上鉄炮町の裏につくられ、幕末まで4棟あった清水谷長屋のうちの1棟。当時の城下絵図には、「北長屋三軒割八住居」としるされています。
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■食事
石川県金沢市
概要
江戸時代には、江戸幕府(約800万石と言われる)を除いて、大名中最大の102万5千石の石高を領した加賀藩(「加賀百万石」)の城下町として栄え、人口規模では江戸・大坂・京の三都に次ぎ、名古屋と並ぶ大都市であった。第二次世界大戦中にアメリカ軍からの空襲を受けなかったことから市街地に歴史的風情が今なお残っている。空襲の被害者やその遺族が少ない地域という理由から、終戦間もない頃には国際交流を目的として来日するアメリカ市民の滞在先としても選ばれた。
下記より抜粋
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■地域ポイント
長年の都市文化に裏打ちされた数々の伝統工芸、日本三名園の一つとして知られる兼六園、加賀藩の藩祖・前田利家の金沢入城に因んだ百万石まつり、さらに庶民文化(加賀宝生や郷土料理の治部煮等)などにより、観光都市として知られる。2009年にはユネスコの創造都市に認定された(国内では神戸市、名古屋市に続く3番目、クラフト&フォークアート部門ではアジア初)。また、北陸地方を管轄する国の出先機関や大企業の「北陸支社」「北陸支店」が置かれる場合が多く、政治・金融において北陸地方の中心的な都市としての機能も担っている。
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■観光案内
・尾山神社
廃藩置県後、旧加賀藩士等は祭祀を継続し、利家公の功績を不朽に伝えんと、明治6年旧金谷御殿の跡地である現在の社地に社殿を新築しました。尾山神社と称して、郷社に列せられます。翌明治7年には県社に昇格、そののち明治35年には別格官幣社に列せられました。また、平成10年には正室であるお松の方も合祀されました。
・金沢城公園
金沢城は1583年4月の前田利家入城から高山右近の縄張りで改築され、壮大な城郭を形成し、明治期には陸軍師団司令部、戦後は金沢大学キャンパスにも使用されました。金沢大学移転後、2001年には菱櫓・五十間長屋・橋詰門続櫓が再建され、その後河北門などの再建が行われています。
www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp
・兼六園
兼六園は5代綱紀に始まり歴代藩主によって造り上げられた日本を代表する名園
・竪町商店街
金沢一の繁華街、香林坊・片町が続く大通りから一歩入った「竪町商店街」は、人気のショップが集まり休日は多くの若者で賑わいます。「新竪町商店街」は骨董店が多い商店街として知られていましたが、最近はおしゃれなギャラリーやセレクトショップも増えて、感度の高い人たちに人気です。
金沢駅からほど近い横安江町商店街も最近注目を集めているストリートです。元は真宗大谷派金沢別院の門前町として栄えた商店街ですが、個性的なお店が多く、めずらしいお土産が見つかるかもしれません。
www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp
・前田家墓所
藩祖前田利家公とお松の方をはじめ、歴代藩主や加賀藩重臣の墓があり、全国有数の規模と威厳を備える墓所として有名なところ。夫妻が並ぶ荘厳な墓は、大河ドラマ「利家とまつ」を彷彿
金沢から遠く旅順をおもう ~石川県戦没者墓苑 : 気がつけば大連
https://ameblo.jp/hjicun/entry-12134803021.html
http://blog.livedoor.jp/jive301/archives/6406683.html
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■食事
・すし処 めくみ
すし処 めくみ |[第1章]金沢の寿司の名店7選 - 金沢を満喫する21章
・近江町市場
岐阜県岐阜市
概要
岐阜市は、岐阜県の中南部に位置する中核市で、同県の県庁所在地
人口:402,537人
戦国時代には金華山の麓の旧岐阜町が斎藤道三や織田信長が城主として支配した城下町として栄え、江戸時代には幕府の直轄地のちに尾張藩領となり岐阜奉行所が置かれ、岐阜四十四町からなる商工業の中心地として栄え、南部の旧加納町が中山道加納宿の宿場町、加納藩の城下町として栄えた。
岐阜県議会議員数 :46人
岐阜市議会議員数 :38人
下記より抜粋
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■地域ポイント
・鵜飼
鵜飼を「見せる(=魅せる)」ことでおもてなしの手法として最初に取り入れたのが、織田信長です
・岐阜大仏(正法寺)
日本三大仏の一つに数えられるこの大仏は乾漆仏としては日本一の大きさを誇ります
・常在寺
斎藤家の菩提寺。斎藤道三とその父・長井新左衛門尉が二代にわたり美濃国を制する拠点とした寺です
・岐阜公園
岐阜市の中央、金華山のふもとに広がるこの公園は、戦国時代の岐阜城主であった斎藤道三や織田信長の居館があったとされる場所です
・岐阜城
斎藤道三・織田信長の居城
金華山(きんかざん)山頂に位置し、1201年に鎌倉幕府執事二階堂行政により初めて砦が築かれたといわれています。岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどでした。戦国時代には小説「国盗り物語」の主人公である斎藤道三の居城でもありました。その後、永禄10年(1567年)に織田信長がこの城を攻略し、城主となりました。信長は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています
・川原町の古い町並み
長良橋南詰の鵜飼観覧船のりばから西へ続く「湊町・玉井町・元浜町」の町並みは通称「川原町」といい格子戸のある古い町並みが今も残っています
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■観光案内
・岐阜市の「まちなか観光」
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■食事
・胡蝶庵 仙波