新潟県三条市・新発田市付近
概要
県下有数の工業都市。市域の大部分が旧南蒲原郡の町村から成り、新潟県の中越地方に分類されるが、後述のとおり下越地方に含まれる場合もある。近年では「県央地域」の呼び名が一般的となっており、隣接する燕市や加茂市、田上町、弥彦村などから成る同地域の中心都市となっている。
2005年(平成17年)5月1日、旧三条市と南蒲原郡栄町、同郡下田村の3市町村による新設合併をもって、現在の三条市が発足した。合併当時の人口は約10万8千人を数え、新潟市、長岡市、上越市に次ぐ県内第4位の人口を擁する都市となった。近年の人口は同規模を有する新発田市とともに、県内4位から5位の間を推移している。
隣接する燕市は、ともに金属加工を中心に栄えたこともあって古くから相互補完の関係が深い。
特に三条市はともに金属加工を中心に栄えたこともあって古くから相互補完の関係が深く、燕は「職人の町」、三条は「商人の町」とも称される。近年に関しても、燕市から三条市への通勤率は10.1%(平成22年度国勢調査より)に達する。
しかし一方で、根深い対立を抱えている側面もあり、過去には両市の境界に所在する日本国有鉄道(当時、現在の東日本旅客鉄道)の燕三条駅や、北陸自動車道の三条燕インターチェンジについて、名称の扱いを巡り論争が起こったことがある。また2000年代の市町村合併を巡っては、両市の財界や市民団体などから両市合併による「燕三条市」を実現しようとする動きが見られたものの、両市双方で論争に発展するなどし、結局実現には至らなかった。
新潟県の北部、日本の穀倉地帯といわれる蒲原平野部位置し、県都新潟市から車で30分(約27km)のところにあります。
山間部の集落では、旧石器時代や縄文時代の遺跡が発見されており、古くから人々がこの地に住んでいたことがわかります。
新発田(しばた)市の地名の由来は、この地方が海岸州の近くだったことから「洲端(すばた)」が「しばた」になったという説、荒れ地を開墾してできた土地(田)ということから「しばた」になったという説など、他にもいくつかの説がつたえられています。
新発田は、明治4年に廃藩置県がなされるまで国替えもなく、12代、約270年という長い年月にわたり溝口侯が治め、新発田藩城下町として栄えてきました。新発田城をはじめ、藩主の下屋敷である清水園や足軽長屋などに当時の面影が残っています。
新潟県 議員数53名
新潟市 議員数51名
三条市 議員数22名
燕市 議員数20名
新発田市 議員数27名
下記より抜粋
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■地域ポイント
・新潟県三条市は県内有数の工業都市として知られています。「燕三条」の刃物、金物、鋳物などは全国的にも有名。
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■観光案内
・新発田城
現在も城郭跡地の大部分が陸上自衛隊の新発田駐屯地となっているため、三階櫓に行けないなど、新発田城の観光地化の支障となっている。しかしその反面、ここを訪れる観光客の中では、城と重なる駐屯地の光景を見て、「戦国自衛隊のようである」と感想を漏らす人々が非常に多い。かつては浮船城、狐の尾引き城、あやめ城と呼ばれていた新発田城であるが、近年では戦国自衛隊の城という愛称で呼ばれることが増えてきている。
・清水園、足軽長屋
「清水園」の東側を流れる新発田川。この川をへだてた路すじに「足軽長屋」はあります。天保13年(1842)に藩の普請奉行が建てた棟札がみられます。 新発田藩は軍事的理由から、城下の幹線道路の出入り口付近に人数溜まりをつくり、その外側に「足軽長屋」を置きました。長屋は旧会津街道口、古くは足軽町とよばれた上鉄炮町の裏につくられ、幕末まで4棟あった清水谷長屋のうちの1棟。当時の城下絵図には、「北長屋三軒割八住居」としるされています。
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■食事